いまだに目にする問題について思う。

パンドラの箱


希望が閉じ込められた災厄の箱。
そんな覚え方をしてる人もいるみたいだ。
じゃなかったら「なぜ災厄の箱に希望が残されているのか。希望とは災厄だ」なんていう考え方が出てこないはず。


なんの漫画だったかな…
ずいぶん前に、パンドラの箱に残された災厄が希望だと書かれていた。
(すくなくとも、絶望先生ではない気がする)


これは違う。


パンドラの箱に残されていた災厄は「未来が分かってしまう」というものだ。
未来が分からないからこそ希望が残されているという神話だ。
結論が過程に取り込まれてどうする。


情報が正しく処理されないと、とんでもない誤解が生じるものだ。



いまだに続くWinny問題。
誤った情報を含む真実の報道は、いたずらに被害を大きくしている。


報道は、まえの、圧倒的人気による小泉政権樹立で、情報の扱い方に注意をしようとは思わなかったのか?
いま、Winnyはブームと呼べる現象が起きている。
その火付け役は「報道」だ。


なぜ。
なぜ。
なぜ。


疑問ばかりが、大きく膨らんでいる。