自慢と我慢

漢字が違うだけで、同じ意味をもつ言葉はいくつかある。
「自我」という漢字は、そういう同じ意味を持つ漢字がふたつ重なった単語だ。
でも、同じなのに、同じ漢字をそれぞれにくっつけると意味がまったく違うものを見つけた。


「自慢」と「我慢」


これ、なんで?
自慢といえば、うぬぼれとか、自己満足の世界を意味してる。
我慢というと、忍耐とか、自己犠牲の世界を意味してる。


理由がよくわからん。
わからんことは、調べてみよう。


そのまえに、いくつか仮説を立てておく。
実はさくっと「自慢と我慢」とかのキーワードでググッてみたんだけど…同じ疑問を持つ人は少ないようで、簡単にはいかなかった。
で、何の取っ掛かりもなく調べても結論は得られないという、至極あたりまえのスタート地点に戻ってきてたりする。


1.仏教か何かの専門用語から派生した。
2.自と我の意味が、本当は違っていた。
3.意味は同じだったが、使われているうちに変化してきた。
4.国家レベルの陰謀で(以下略)


まぁ、4番目は考えすぎというか、電波を発しているというか…


とりあえず、基本中の基本。
単語の意味から調べてみようと「自慢」で検索した。
グルメ自慢とかなんとか、自慢話ばっかだった…orz
では、ひとまずそれは置いて「我慢」を検索。
語源由来辞典というのが引っかかって、あっさりと疑問が解決しちゃった。
さんざんキーワードを連結して調べてた僕って一体…


気を取り直して、上記の辞典から引用。

我慢は、仏教語で七慢のひとつで、サンスクリット語「mana(マーナ)」の漢訳。
仏教で「慢」は、思い上がりの心をいい、その心理状態を七つに分けたものが「七慢」である。
その中の「我慢」は、自分に執着することから起こる慢心を意味し、「高慢」「驕り」「自惚れ」などと同義語であった。
そこから意味が転じ、我慢は「我を張る」「強情」などの意味で使われるようになった。
さらに、強情な態度は人に弱みを見せまいと耐え忍ぶ姿に見えるため、近世後期頃から、現在使われている我慢の意味となった。


なるほど、仏教の専門用語で、使われているうちに変化したのか。
我慢と自慢は出自が同じ…と。
1番と3番が正解w
自惚れが過ぎると我慢になるといったイメージ。
ほんと、日本語って時代で意味が変わるよなぁ…
「悲しい」とか「面白い」とか。


ついでに、余談が面白かったのでこれも抜粋しちまえ。

我慢の元となる「七慢」は、「慢(まん)」「過慢(かまん)」「慢過慢(まんかまん)」「増上慢(ぞうじょうまん)」「我慢(がまん)」「卑慢(ひまん)」「邪慢(じゃまん)」で、それぞれの意味は以下の通りだが、文献によって解釈が異なる部分もある。
慢とは、他と比較しておごり高ぶること。
過慢とは、自分と同等の人に対し、自分の方が上だと思うこと。
慢過慢とは、自分より優れた者に対し、自分の方がもっと上だと思い誤ること。
増上慢とは、悟りの域に達していないのに、既に悟っているという自惚れの心。
我慢とは、自分に執着することから起こる慢心のこと。
卑慢とは、はるかに優れた者と比較し、自分は少ししか劣っていないと思うこと。
邪慢とは、間違った行いをしても、正しいことをしたと言い張ること。

ここまでくると、引用というより転用?
我慢はともかく、増上慢はいちおう知ってた。
けど7つのバラエティがあるとは…他にもあったのねーという印象。


過慢。
いや、慢過慢もか。
漫画では、敵役にありがちやね。
もしくは引き立て役のキャラか。
最初はカッコよくキめてるけど、最後には負けちゃうのがセオリー。



卑慢って、読み方が「ひまん」だから、どうしても肥満と勘違いしそう。
意味としては、「はるかに太った人と比較し、自分は少ししか太ってないと思うこと」とか。


邪慢では、1年くらい前に書いた某音楽会社のことを思い出した。
関係ないけど、のまねこ問題ってどうなったんだろ?


真慢とかってあったら、クスッと笑えたかも。
読みは「ママン」
意味は「母親以上の女性はこの世にいないと思うこと」
真性のサイコ…?
う〜ん、自分で考えておいてなんだけど、面白くはないな。




最近、オヤジギャグに洗脳されてきたかな…僕…