パーソナルコンピュータと僕

小学生の作文のようなタイトルで始めるのは、今日のブログがそんな感じだから。


初めは、STARLESS氏の言及から話題を膨らませるところから。
僕は、ロータス123とかタッチタイピングとか、パソコンの扱い方は高校生のときに授業で覚えさせられた。


それまでも小学校5年生のときに、担任がPCをもっていたので、これを遊び道具にさせてもらっていたりする。
といってもHDDのないタイプで、MS-DOSから各ソフトをシングルタスクで起動させるPCだった。
滑車による支点/力点/作用点などの解答を打ち込んだりする教材系のソフトばっかりだったけれど、動作原理の分からないその箱は、凄く魅力的だった。
一太郎が主役で、ときどき数字の入力を手伝っていたのを思い出す。
どういう経緯だったか忘れたけれど、農協祭のあの日、手伝っていた先生からお好み焼きをもらったときはうれしかったな…なんて。


中学校からはパソコン室ができて、授業でパソコンを触ってた。
Windowsが3.1から95に変わったのが、確かこのころ。(ちがうかも…)
マインスイーパソリティアに夢中で、授業なんか聞いてなかった。
そういえば、エロゲーがインストールされてる端末もあったな…あれ、どうやって持ち込んだんだろう?
リモートで生徒のPC画面を監視するソフトがあって、即座にばれて怒られてたけど。
純情な僕は、あきれるやらうらやましいやらw


で、本題に戻って高校時代。
パソコンを買ってもらったのも高校入学のときだ。
初めてのパソコンで、うれしくて弄り倒した。
そうしたら、1ヶ月で視力を 1.5 から 0.5 まで落としてしまった。


で、パソコン検定とかいうのを受けるのに、事務文書をとにかく打ちまくった。
周りの人間は単なる遊びの授業だったけれど、当時でいうブラインドタッチ(差別を含むから今はタッチタイピングといわなければならないらしい…)がどうしてもやりたくて、他の授業以上にまじめに受けてた。
その結果、学年でパソコン検定3級(たしか、120文字/分のタイピング速度で合格だったはず)を取ったのは僕だけだった。
田舎だし、パソコンなんてやってどうするんだなんて雰囲気があったけど、いまコンピュータで食べている僕が居たりするので侮れない。
関係ないけど、高校3年間でクラスを受け持った担任は4人いる…あれは、今でも謎のまま。
丁度2年生のとき、途中で担任が変わった。
その変わる前の担任が専門学校の説明会を僕に薦めなかったらコンピュータ関係の職を選択していなかったことを考えると、因縁に不思議さを感じる。
それはともかく、文書作成なら一太郎表計算ならロータス123、データベースなら桐という時代の話。
そういえばBASIC、モノにできなかったなぁ…
プログラミングの授業の時間に「三国志5」(光栄)をやってれば、当たり前だが。
対戦に燃えた。


実を言うと、高校時代に覚えたパソコンの知識だけで、専門学校は殆ど授業の時間を遊んでた。
モンコレというトレーディングカードゲームを知っている方は、考えて欲しい。
アレを授業中に堂々とやる僕達を…
先生も公認してたので、別に文句も言われずに。
まぁ…マルチメディアとかゲームとかを扱うコースだっただけに、教室にプレイステーションがあったから当たり前の話なのかも。


逆に、専門学校のレベルが低かったというのもあるかもしれない。
でも、就職氷河期とか言われてたけど、いまじゃ当たり前のスキルだけで就職してしまえた。


とはいうものの、一太郎からWord、ロータス123からExcelに変わり、VB6.0やC言語アルゴリズム、HTML等などを覚え、それなりに基礎知識を得た時代でもある。
卒業制作のゲーム作成…いまだに提出してないけどイイんだろうか?


てか、授業中、遊んでばっかりじゃないか!?